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ハウディ店長 吉田さき子のプロフィール

誕生〜小学時代

『ハウディ』店長プロフィール | 小学生時代
私は4人姉弟の長女として、3950gでこの世に誕生しました。左官職人の父と看護師の母。生活は貧しく、おやつは近所のパン屋で1袋10円で買ってきたパンの耳なんてこともしょっちゅう。母がフライパンで炒って砂糖をまぶしてくれたものを、お皿いっぱいに盛ってくれるんです。でも、妹弟たちと4人で取り合い。だからおなかいっぱいになることはありませんでした。
小学生になると、おこずかいは1週間に50円。近所の幼馴染は100円とか500円とか持ってるんです。一緒に駄菓子屋に行くと、その子たちは高価なお菓子を買っていて(1個20円とか)。私はなんだかみじめな気持ちをぐっとこらえて、とにかくクジ付きの5円や10円のお菓子を買っていました。「当たりが出たらもう1個」を期待して。
でも実は、母は私たちの気付かないところで、将来の種まきをしてくれていました。それは、英会話。地元の学習センターのイベントや、月1回の英会話スクールなどに通わせてくれていました。私にはそれがとても楽しくて、自然と異文化に興味を持つようになっていました。「いつか海外に行ってみたいなぁ。」

初めての飛行機

中学1年の時、学校の掲示板に魅力的な貼り紙を見つけました。夏休み中の海外ホームステイ。行先はアメリカ・ユタ州:3週間で50万円。「ダメだろうなぁ・・でも行ってみたい。」恐る恐る両親に相談したところ、なんとOKの返事!「やった!憧れの海外に行ける!」こうして、人生で初めて飛行機に乗ることになったのです。今でも忘れません。ごぉ~っというエンジン音が響く中、体がシートに押し付けられ、そしてふわっと機体ごと自分が浮いたあの瞬間を。「うわぁ!飛んだ!これから日本を飛び出すんだ!」飛行機は私の夢への扉を開けてくれました。そしてユタで過ごした日々。すべてがわくわくすることばかりで、「もっといろんな国に行きたい」という衝動を心に深く刻み付けました。

大学とアルバイト

高校3年になり周りが進路を悩む中、「英語を習得できるところ」に行くと決めていました。しかし両親から「私学は行かせてやれんよ」と。経済的に仕方ありません。そして運よく合格できたのは、地元大学の夜間主コース。全日に比べて学費も半額。昼間はアルバイトでお金を貯められるし、夜は講義で英語習得の一石二鳥!前向きに捉えたことで、遊ぶ暇はほとんどありませんでしたが、充実した日々を過ごしていました。
この時やっていたアルバイトが酒屋のレジ打ち。ちょうど赤ワインブームも相まって、並べればなんでも売れる時代でした。そんな環境の中、なんとなく「ワインって面白そう」と興味を持ち始めていました。

オーストラリア

『ハウディ』店長プロフィール | オーストラリア(2000年)
大学卒業も決まった年の2月、コツコツ貯めたお金でオーストラリアのアデレードへ行きました。目的は、英語の上達とワインの知識を得ること。そのためホームステイをしながら、語学学校とワインの専門学校に通いました。一人でバロッサヴァレーのワイナリー巡りにも参加。ちょうど収穫期の広大なブドウ畑に圧倒され、ワイナリーで飲むワインの味に魅了され、天井まで積まれた樽の迫力に心を奪われました。「面白い!もっと深く知りたい!」

就職するも…

この経験によって、本格的にやってみようと思い、バイト先の酒屋に就職。最初は意気揚々と張り切っていたのですが…。3年ほどたった25歳の頃、「毎日同じ空間で繰り返すのは、ただの品出しとレジ打ち。お客さんも特に変わらない。この仕事って変化がなくてつまらないな」と思うようになってしまったのです。「この仕事を続けて将来どうなるんだろう?そういえば私の夢ってなんだったっけ?」と自問する日々が続きました。そうして思い出したのは、「そうだ、海外に住みたい!あ、あと、大好きな飛行機にかかわる仕事をしたいんだった!」だとしたら…「そうか、私が目指すのはキャビンアテンダントだ!」そう思い立ったらすぐに行動に移していました。そして運よく、カナダでインターンを受け入れている航空会社を見つけました。「よし、決まり!」
「辞めさせてください。」こんな身勝手な言い分を、会社は認めざるを得なかったと思います。なにせ、私の心はもう決まっていたのですから。社長に「吉田さんは戻ってくる気がする…」と言われましたが、まったく耳に入っていませんでした。

渡加

そして猛勉強の甲斐あって、国内での数々の試験になんとか合格。12月、カナダに渡りさらに試験の連続。真冬のエドモントンは-30度になることもあり、慣れない生活。それでも夢に向かって努力している事実が私の心を支えていました。最終試験の合格発表。試験官に「Here you are.」と言って渡された白い封筒を開けると…羽根のバッヂが入っていました。「やったぁ~!」“Sakiko Yoshida”と刻まれているのを見て涙がどっと溢れてきました。晴れてカナディアンノース航空のキャビンアテンダントになれた瞬間でした。夢がかなったのです。それからは、オーロラを見にやってくる日本人の通訳をしたりしながら、充実した日々を過ごしました。憧れた仕事が手に入ったことで、やりがいを感じていました。そう思っていました。

憧れと現実

『ハウディ』店長プロフィール | カナダCA時代
大好きな飛行機に乗り、乗客にサービスをし、そして見送る。フライトの無い日は友人と過ごす。そしてまたフライト。そんな日々を繰り返すうちに、またしても気持ちに変化が現れ始めました。「今私は描いていた夢の中にいる。でも、これが本当に私の目指していたこと?」「ここで生きていくことが本当に望んでいたことなの?」「じゃぁこの先何をしたいの?」気付いた時には埋めようのない大きな穴が、心にぽっかり開いてしまっていました。「私どうしたんだろう。わからない。自分がわからない…。」

燃え尽きた夢

そんな想いの中帰国することに。「幼いころからずっと描いていた夢を手に入れ、そして終わってしまった今、もうやりたいことは何もない。」「今まで何をしてきたんだろう」「これから何のために生きていくんだろう…。」なんとなく過ぎていく日々に流され、家族にも打ち明けられず、どうしていいかわからないまま数カ月が経ちました。そしてふと、以前勤めていた酒屋に顔を出しました。本当は今の自分が恥ずかしくて、なかなか行く勇気が持てずにいたのですが、この日なぜか足が向いたのでした。すると「この先何も決まってないんだったら、戻ってきたら?」と以前の上司に言われたのです。「え!?」

もう一度

身勝手に辞めた私に、やり直すチャンスが与えられました。私は何か見えないものに背中を「ポンっ」と押されました。「今の私にはやりたいことも何も無い。そんな私にこんなありがたい話はもったいないよ…でも考えた所で始まらない。動けば何かが変わるのかもしれない。よし、とにかくやるしかない!」
こうして踏ん切りがついた私は、酒屋に再就職。目の前の事に専念することにしました。そこからは、さまざまな酒類の知識を貪欲に学び、積極的にお客様とも関わるようにしました。徐々にお客様との会話も増え、「こないだのお酒おいしかったよ!」「ありがとう。また来るね。」と言っていただけるようになりました。そうして気付いたのは、お客様との心の距離が「回を重ねるごとに近づいていく」ということ。CAのときには得られない「心地よさ」でした。「そうか。私、これを望んでいたのかもしれない。」

父の言葉

そうした中、父が還暦を迎えました。「みんなでお祝しよう!」そうして家族6人全員が集まったのも久しぶりでした。グラスにワインが注がれ「乾杯!」「おめでとう!」と言いながら、話に花を咲かせていました。すると、ふと赤い頬をした父が言ったのです。
「や~っとさき子が一緒に飲んでくれた」。その言葉が私の胸に刺さりました。「そういえば、大学時代からいままでずっと、帰るころには夕食も終わっていたし、家でこんな風にゆっくりお酒を飲んだことなかった。仕事始めてからはなおさら。勝手に決めてカナダに行って、何も話さず何でも一人で決めてしまっていた。父は、こうして一緒に飲むのをどれだけ楽しみにしてくれていたんだろう。今まで両親からさんざん応援してきてもらっていたのに、私はこんな些細な時間でさえ取ろうとせずにきてしまったんだ。」申し訳ない気持とうれしい気持が入り混じる中、私はこみあげてくる涙を、ワインと一緒にぐっと飲み込んでいました。そして気がつきました。「もっと父と、そして家族や仲間たちと過ごす時間を大切にしたい。」

つなげたい想い

『ハウディ』店長プロフィール | 仏ワイナリーでテイスティング中
これらの経験すべてが、私の仕事に対する情熱の原動力になっています。
「お酒には人と人とを繋げてくれる力がある。心と時間を豊かにしてくれる。そんな時間を演出できるのがこの仕事だ」と信じています。
これからも、こうしてご縁のあったあなたの人生の「瞬間」が、ワインを通して笑顔と幸せにあふれるようお手伝いをすること。これが私の喜びであり、ミッションです。

長文をお読みいただきありがとうございました。